10年来の夢を叶え、憧れの東京へ!そこで待っていたのは…


NPOで働いているとき、職員同士の会話で私の耳に入ってきた単語が「Yokota Air Base」。

私は基地の従業員になろうとはそれまで一度も思ったことはなかったのですが、横田基地→東京にある→東京に住めると考えたら、このヒラメキを大事にしようと思い、履歴書を送りました。

 

そして採用が決まりました。

 

「これで私の転職人生もピリオドが打てた」と、すごくほっとしたのを今でも鮮明に覚えています。

ストレスに負けず、翻訳学校に通った…のに

東京でストレス

さまざまな仕事を経て、ようやく憧れの東京まで辿りついた私を待っていたのは、想像とは裏腹にあまりにも単調な仕事でした。

 

仕事は午前7時半から始まり、午後4時半まで。自分のスピードで午前中の仕事をこなし、「そろそろお弁当でも注文しようかな」と時計を見上げると、まだ9時半(泣)。

 

そんな生活がほぼ毎日続いたのです。

 

それでも「自分でつかんだ夢だから」と自分に言い聞かせ、コツコツと3年間働き続けました。

 

せっかくの東京だからと、仕事が終わった後、都内でも評判の高い(厳しいという意味)の翻訳者養成学校にも通ったりと時間を効率よく使うことにも努力しました(毎日お風呂で学校の課題、"Newsweek"のカバーストーリーを読んだりとか。今、思うとストレス解消とは真逆のことをしていました)。映像翻訳家にも憧れていたものでしたから。

 

 

そんなある日の朝、私はベッドの上で動けなくなったのです。

 

 

 

ぎっくり腰でした。

たえずメッセージを送ってくれた私の身体…

それまで腰を痛めたこともない私はとにかくビックリ。前日に重い荷物を持ったわけでもないし、特にひねったわけでもありません。

 

 

それなのに、私の腰は私の命令を聞いてはくれませんでした。

 

 

腰だけではありません。

 

「ヒステリー球」という嫌な名前の症状で喉のつまりに悩まされ、身体中にじんましんが出るようになりました。

 

 

私の心と身体が、「わからずやの持ち主」に対し、色々とメッセージを訴え始めたのです。

 

仕事は相変わらず毎日が同じ繰り返し。昇格のチャンスもあったのですが、自ら断い、上司からの評判も落ちるという悪循環。

 

帰宅途中、車の中で森高千里さんの『普通の幸せ』を聴きながらよく泣いていました(そんな状態だから通勤途中に車をぶつけることも二度ほどありました)。

 

もともと仕事運には恵まれ、心身共に元気だと自負していた私でしたので、このような不調が続くことで完全に自信を失いました。

 

「これはさすがにどうにかしないと」と思っていたある日、ネットサーフィンをしていて私の目に飛び込んできた言葉が「フラワーエッセンス」でした。

 

忘れもしません、2000年の1月のことです。